私の自宅の時計は、どの時計も5分ほど早い時刻に設定してあります。
肝心なときに、とんでもない遅刻やヘマをやらかすのではないか。そんな不安に対するささやかな対応として、そんなことをしているんだと思います。
エリン・メイヤー著『異文化理解力(英治出版)』によると、世界には「時間に厳しい文化」と、「時間にユルい文化」があるとのことです。
それぞれの特徴を引用しますと、以下のようになります。
目次
「時間に厳しい文化」「時間にユルい文化」の定義
時間に厳しい文化(モノクロニック文化)
プロジェクトは連続的なものとして捉えられ、ひとつの作業が終わったら次の作業へと進む。一度にひとりずつ、邪魔は入らない。重要なのは締め切りで、スケジュール通りに進むこと。柔軟性ではなく組織性や迅速さに価値が置かれる。
時間にユルい文化(ポリクロニック文化)
プロジェクトは流動的なものとして捉えられ、場当たり的に作業をすすめる。様々なことが同時に進行し邪魔が入っても受け入れられる。大切なのは順応性であり、組織性よりも柔軟性に価値が置かれる。
日本は「時間に厳しい文化」・・・?
日本人は一般的に
「締め切り厳守」、
「時間厳守」、
「遅刻厳禁」が当たり前で、
「5分前集合」なんてことも普通に受け入れらているとおり、バリバリ「時間に厳しい文化」です。
よほどのことがないかぎり、あらかじめ決められたスケジュールどおりに物事を動かそうとしますし、周囲の行動も読みやすいと言えます。
また「相手の時間を無駄にしてはいけない」という規律があり、「待たされる」ということが少ないため、時間にかかわるストレスも少ないです。
ただし、意思決定に時間がかかる傾向があったり、就業時間を過ぎても働くことが常態化していることから、「時間に厳しい文化」に属する海外の方から見ると、日本人は厳密な意味で「時間に厳しい文化」と言い切れないところもあります。
中東のヨルダンは・・・?
一方、ここヨルダンはガチガチの「時間にユルい文化」です。
ここで一つ私の経験したエピソードをお話ししましょう。
邪魔が入っても許される
私がヨルダンに来て間もない頃、こちらの政府の方のお部屋でミーティングをしていたときのことです。仮に、その人の名前を「アリ」としておきましょう。
ちょっとお金のことが絡む大事なミーティングで、アリ氏とのミーティングもある種の緊張感がありました。途中で邪魔が入らないよう、アリ氏もわざわざ部屋のドアを閉めてくれ、いくばくか重い雰囲気の中、二人でミーティングをしていました。
ミーティングがはじまって20分ぐらい経った頃でしょうか、
ノックもなくいきなりバーン!とドアが開いて、見知らぬ人が入ってきました。
「やあやあ、元気!?久しぶり!」
どうやらアリ氏の知り合いのようです。
「あの・・大事なミーティング中なんですけど」
私は無言でその闖入者に対し「目ヂカラ」でもって抵抗しました。
と、そのとき、アリ氏は立ち上がり、
「おおおぉぉぉ!久しぶり!!」
なんて両手を広げて歓迎しているではありませんか!
唖然としている私を尻目に、彼らは固い握手と抱擁をかわしています。相当久しぶりの再会だったようで、近況を伝えあっているのでしょう、アラビア語だけのにぎやかな会話が続きます。
「あの・・大事なミーティング中なんですけど」
という言葉が私の頭の中でむなしく響くだけで、しばらくボーッと彼らのやり取りを眺めていました。
するとアリ氏は私の方を振り返り、
「浩一、この人ね、モハマド。俺のベストフレンド」
続けてモハマド氏に、私のことを紹介します。
「この人は「浩一」、ヤバーニだよ(アラビア語で「日本人」)」
モハマドと呼ばれた紳士は私に向かって
「お~、ヤバーニか!ウェルカム!ウェルカム!!」
なんて言いながら握手を求めてきました。
私は、
「あの・・大事なミーティング中なんですけど」
という言葉を飲み込みつつ、ここでも「目だけで」文句を言いながら握手をしました。
ところが握手を終えるとモハマド氏は、空気を読んで退散するかと思いきや、どっかりと私の隣のソファーに腰をおろすではありませんか。
「あの・・大事なミーティング中なんですけど」
と、また心の中で叫んでいると、アリ氏が内線電話でカフェテリアにコーヒーを3人前注文しているのが聞こえました。
注文が終わるとアリ氏は私に向かって
「浩一、今日のミーティングはこれで終わりにしようや。モハマドも来たし、一緒にコーヒー飲もう!」
は・・・??
モハマド氏をみると、私達のミーティングの邪魔をしたのだという意識は1ミリもないようで、やおらにタバコを取り出し、アリ氏と何やら長話がはじまってしまいました。
私は私で、その日のミーティングの結果をその日のうちに東京に連絡しなければならず、アリ氏のお友達が来たからと引き下がれません。
仕方がないので、このモハマド氏が帰るのを待つことにしました。
・・・1時間経過・・・
・・・2時間経過・・・
ようやくモハマド氏が「帰ろうかな」と腰を上げたのは終業時間をだいぶ過ぎてからでした。
モハマド氏が帰ってから、私とアリ氏との会話は以下のようなものでした。
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私:ミーティング、どうすんの?
アリ:今日はまいった、友達が来てしまった。
私:モハマドさんは事前にアポ取ってたの?
アリ:いや、来るなんて知らなかった。
私:なんでミーティング中だって言えないの?
アリ:友人を追い返すわけにはいかないだろう?
私:で、今日の話はどうすんの?
今日中に東京に連絡入れないと予算がつかなくなるんだけど。
アリ:明日にしよう、明日の朝一。
私:明日?東京は何て言うか、わからんよ。
アリ:だってしょうがないじゃん、友達が来ちゃったんだから。
明日何とかしようよ、それでいいでしょ?
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冒頭で「時間にユルい文化」の定義を記しましたが、
「様々なことが同時に進行し
邪魔が入っても受け入れられる。
大切なのは順応性であり、
組織性よりも柔軟性に価値が置かれる」
という意味が身に染みてよくわかりました。
同時並行で物事を進める文化
それからもヨルダンでいろんな経験をし、同時並行で、柔軟に物事を進めることがここでは大事なのだということを強く意識するようになりました。
会議に出席している人に用事のある者が、その場に出入りするのは自由であること、
ミーティング中であろうと、携帯に電話が入ればすぐに取ること、
私が電話で重要な話をしていても、察することなく平気で話しかけてくる人ばかりであること、
携帯を右耳に、固定電話の受話器を左耳にあて、違った相手と同時に会話するのも異常ではないということ、
アポの時間は「目安」で、遅れても詫びることはないし、待たされたほうも気にしていないこと、
予定に狂いが生じてもグダグダ言わず「しかたがないこと」として片づけ、「今後どうするか」に焦点があてられること。
時間感覚はユルいけど、いいこともある
ヨルダンに来た頃は、アポなしで会いにいくとか、相手のミーティング中に押し掛けるなんてできませんでした。
またアポなしで私を訪問してくる人が多いのですが、そのときに手をつけていたこと、予定していたことができなくなります。
こんな風に相手のペースにはまってばかりで、プロジェクトの進行にも影響してイライラとストレスがたまるばかりでした。
しかし、
こんな彼等の習慣に慣れてしまえば、これはこれで結構「楽」で、理にかなっていると思うことも多いのです。
こちらの対応としては簡単なことで、時計を5分早めに設定するのと同じです。あらゆることを早め、早めに動かすことだけ心がけておけばいいのです。
途中のプロセスでハプニングが続き、細かい部分の遅延やグダグダの道をたどっても、最後はこちらの考えていたスケジュール通りに物事が進むようになります。
そうなると、
突然のお客さんに対しても、
アポに遅れて来た人に対しても、
会議中に携帯で話し込む者がいて会議が中断してしまっても、
遅刻や突然早退するスタッフにもイラつくことがなくなります。
トラブル解消のため、ある人にどうしても会わないといけなくなったら、アポなんか気にせず、相手がミーティング中であろうと押しかけていけばいいのです。同時並行が特技な彼らから、無下に追い返されることはありません。
そう考えると「時間に厳しい人」は融通が利かないので「案外やりにくいな」と思ってしまうことがあるのも事実です。
ミーティング中に押し掛けていくなんて、迷惑がられ、追い返され、「相手のことを考えない、自分勝手なバカ野郎」と悪く言われるのが関の山でしょう。
トラブルなんて、どれだけ気をつけていても発生してしまうことがあります。それを考えれば「時間感覚にユルい」人たちの方はトラブルにもいちいち騒がず、柔軟で、地に足の着いた現実的なトラブル対応ができるのではないでしょうか。