3年ほど前、ヨルダンの私立大学で教鞭をとっておられるイマンさんという女性と知り合いました。
以来、仕事でのやりとりがいくつかあったのですが、先日、そのイマンさんから一本のメールが入り以下のようなお願いをされました。
「日本とヨルダンの違いや、世界で活躍するために今何が求められるのか、将来、世界を志す若者に向けて、岡部さんのご経験をもとに2時間ほど私の生徒たちにお話をして頂けませんでしょうか」
ひぃぃ・・・
そんな話、ハードルが高すぎて
「私なんかにはムリです~」
と白旗の返信を送ろうと思ったのですが、
何より、
普段は30から60歳ぐらいの「中年」ばかりを相手にしていますので、
「ダイガクセイ」という、
むきたての茹で卵のような、プルンプルンの青年達に会ってみたい。
心の中で湧き上がって来るそっちの方の願望を抑えられず、オッケーしました。
・・・・・
講義は午後1:30の開始予定でしたが、いきなり
「ヨルダンあるある」
でイマンさんが遅刻し、さらにご挨拶で訪れた学長さんや副学長さん、大学職員の方々にコーヒーとお菓子でもてなされるうち、ふと時計を見ると、もう2時半でした。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか~」
という焦りのない、のんびりしたイマンさんの声で学長室を辞し、教室に向かいました。
・・・・・
そこは校舎の3階に位置する講堂で、200人入るという部屋がほぼ満席で学生さん達で埋まっていました。
講堂に入り、まずイマンさんが何やら私のことをアラビア語で紹介しています。
その間、私は講堂の入り口に近いところで立っていたのですが、たくさんの目がチラチラとこちらに向いているのを感じました。
すっかり動物園のパンダのような心境です。
多少の居心地の悪さを感じながら立っていると、
「では、岡部さん、
よろしくお願いしま~す」
とイマンさんに促され、マイクを受け取って壇上に向かいました。
この時はさすがにちょっと緊張しました。壇上に向かって歩くとき、右手と右足、左手と左足が一緒にならないように気を付けながら教壇の中央まできて、
「サラーマレイコム(こんにちは)」
(本来の意味: あなたに平和がありますように)
とアラビア語で第一声を発しました。
すると学生さん達の方から
「ワーレイコム、サラーム(こんにちは)」
という声が返ってきました。
講堂を見渡すとにこやかな顔でこちらを見てくれている学生さん達の雰囲気を感じ、それですっかり気持ちが落ち着きました。
「私の名前は岡部です。
イマン先生と仕事を通じて知り合ったのですが、こんな機会を頂けるとは思ってもいませんでした。まずはイマン先生に感謝しています。
「そして今日、こうしてみなさんとお会いすることを楽しみにしていました。こんなにたくさんの学生さん達に会えて私は興奮しています。
「私はヨルダンでプロジェクトのマネジメントをしています。20年近く海外で駐在員として仕事していて・・・」
とまずは簡単な自己紹介を済ませようとしたところ、まだ私の話の途中ですが、またまた
「ヨルダンあるある」
で早速あちこちで学生さんの手が挙がります。
ヨルダンで会議などをしますと、毎回積極的に発言しようとする方が多くて驚かされます。
今日も私が一方的に話すより対話形式でやった方がお互い楽しいだろうと思いなおし、ある程度のところで自己紹介を切り上げ、まずは講堂の真ん中あたりで手を上げている女性を指して
「どうぞ」
と促しました。
「岡部さん、今日はお忙しいところありがとうございます。
「日本の方にお会いするのもお話をするのも初めてなので、岡部さんにお目にかかれてとてもうれしいです。
「私はハディールと言います、電子工学を専攻してます。大学に入って2年目で、ゆくゆくはヨーロッパでエンジニアとして仕事をしたいと思っています。もちろん、製造業の盛んな日本にも是非行ってみたいです。
「そして・・・、
「したがって・・・、
【注】話、めちゃ長いです。これも「ヨルダンあるある」で、弁舌をふるうことがヨシとされる文化ですから、こちらもイラついたりせず、このハディールさんがそうするように私も彼女の目をじっと見たまま黙って聞いています。
ハディールさんの話がさらに続きます。
「さて、ヨルダン人はよく
日本人は別世界に住まう人たちである
と言います。なぜなら、日本人は規律を重んじ、礼儀正しく、誠実な人が多いとされているからです。
「それにひきかえヨルダン人は・・・岡部さんもよくご存知のとおりです。
(学生さん達の間から笑いが起こります)
「ということで、今日は岡部さんからヨルダン人と日本人の気質の違いについてお話を伺いたいと思います」
そのハディールさんが話終わったタイミングで、さながら
『笑点』
のようにサッと手をあげた学生さんが数名いたのですが、
「ちょっと待ってね、一人ずついきましょう」
と制し、話を始めました。
「ハディールさん、どうもありがとう。
日本人は別世界に住んでいる?いえいえ、そんなのありえません。
私はこれまで出会った100人以上の最悪な日本人の名前をすぐに言えますよ
(と言ったらウケました)。
「ただ、
ヨルダンと日本が別世界、これは本当にそう思います。
「しかしここで私が言いたいのは
『ただ違う』
ということだけで、
『日本の方がいい』
ということではないです。ましてや、
『ヨルダンの方が悪い』
ということでもなく、
『ただ違う』
ということです。
「例えば、先ほどハディールさんが話している間、私はずっとハディールさんの目を見ていました。ハディールさん、そうだよね?
(ハディールさんが「イエース」と言いながらうなずいてくれます)
「これね、実は私、今ヨルダンにいるから意識してやっているんです。日本にいるとき、また相手が日本人の場合、私はここまでじっと相手の目を見てコミュニケーションすることはありません。
「どういうことかと言いますと、
状況にもよりますが相手の目をじっと見るというのは、日本ではそこに感情的な対立があるというようにネガティブにとらえられることがあるんです。
それに、じっと相手の目を見ることは、かえって失礼にあたるという人もいるんですよ。
「後ろの方に座っている人は無理かもしれませんが、前の方に座っている皆さんは私の目を見ているでしょう?それはどうしてですか?
「私の理解が正しければ、皆さんは私の目を見ることで私に
『ちゃんと聞いてますよ』とか
『あなたの話に興味があります』
ということを示しているんだと思うんです。
あるいは、私が本心からモノを言っているかを判断しようとしている。そうでしょ?」
(「イエース」という声が上がります。そしてまた数名の手があがりますが、続けます)
「でも大学の授業や会議のような場面で日本人はどうするかと言いますと、下を向いてメモを取ることも多いんです。
「一生懸命しゃべっているときに相手がメモばかり取って下を向いていたら・・・、はい、そこのミスター、どう思いますか?」
「(指名した男子学生が)話を聞いてないように見えます」
「そうですよね。
でもね、日本人は相手の話を聞きながらメモを取ることで「話をしっかり聞いてますよ」ということを相手に伝えているところがあるんです。相手の言っていることを忘れないように、あとで振り返ることができるように一生懸命メモを取るんです。
「そうなりますと、
話を聞いていることを示す態度が違うことで、お互いに誤解が生じるわけです。
ヨルダン人がじっと目を見てくる・・・
すると日本人はそのヨルダン人に対して
「おや、何か私に文句でもあるのか?」
「おや、メモ取らないな・・・
この人、こっちの話を聞いてないな」
と思います。
「逆に、日本人がずっと下を向いてメモを取っている・・・するとヨルダン人はその日本人に対して
「おや、この人、話聞いてない」
となるわけですね。
お互い、ちゃんと話を聞いているんですよ。
でもそれを示す方法が違うんです。
「私が言いたいのは、目をずっと合わせているヨルダンの方がいいとか、メモをとる日本人の方がいいということではありません。両方正しいんです。
「ただ、
あるところで適切だと思われている行為が、違う文化では不適切だと取られることがある
ということです。
「ハディールさんのお話に日本人が誠実だというのがありました。でも、相手の誠実さを測る方法とその解釈の仕方が、ヨルダンと日本では違うんじゃないかと思うのです・・・・
と、
こんな感じで学生さんとの対話が進んでいきました。とてもじゃないですが、全てのやり取りをここに記すのは限界がありますので、この辺で。
今回の講義、終わったのは5時半でした。
これも「ヨルダンあるある」で、誰も終了時間を気にしないのです。
ヨルダンに棲息する日本から来たパンダは相当珍しかったのでしょう。そのあとも学生さん達と個別でお話をし、彼らが差し出すセルフィーに収まり、たくさんの握手をし、イマンさんにお礼を言って大学を出たのは午後7時すぎでした。
私にとって充実した時間でした。おそらく、この日のことは一生忘れないと思います。
今回は学生さんからひっきりなしに上がる質問に答え、こちらからも質問するものになりました。私が話す時間が6割、彼らが話す時間が4割といったところでしょうか。
そんな中で彼らから発せられるエネルギーと、自らの希望や意見を身振り手振りを加えながら語る彼らの「活きた目」に私はすっかり魅了されていました。
私が大好きで、何度も繰り返し見ている映画に
というのがあるのですが、エンディングで
『なんと気持ちのいい連中だろう』
というセリフがあります。
このセリフはぴったり今回出会った学生さん達にこそふさわしいものでした。
また、個人的な話から入る学生さんが多いのですが、最後はしっかり他の学生さんも関心をもちそうな質問をしてくるのです。
「この学生さん達、優秀だなあ」
と彼らの話を聞いている間、ずっと感心してしまいました。
今回の講義の依頼を受けて、もっとも引っかかったのが
「世界で活躍するために、何が求められているかを講義する」
という点でしたが、いまだにヨルダンで七転八倒している私に教えられることなんてありません。
そして堂々と意見や質問を繰り出してくる学生さん達と向き合っていると、
「私が教えをたれる」
ということが一層おこがましいものに思えてきました。
だから今回私が話したことは
私がこれまで気づいたこと、
私がヨルダンで感じていること
ぐらいしかなかったわけで、彼らに教えることなんてありませんでした。
とにかく彼らと一緒にいるだけで、彼らぐらいの年齢まで私自身が若返っていくような不思議な感覚を覚えたのでした。
この大学を訪れ校門に入ったときと比べると、夕方に校門を出たときには私の身体中の細胞が入れ替わってしまったと言っても過言ではないかもしれません。
その日の晩、妻が用意してくれた晩御飯が、たまたま
血のしたたる400グラムのリブアイステーキ
でうれしかったです。
その日のご飯がチキンとか魚では、大学で充填されたエネルギーが求めるモノにとても追い付かなかっただろうと思うのでした。