私は異文化コミュニケーション、異文化理解の専門家として「多様性」の議論にも参加していますが、いつもモヤモヤだけが残ってしまう自分がいます。
目次
モヤモヤ、モヤモヤ・・・
多様性の時代。
文化的背景が異なる人たちと仕事をする上で大事なこととして
「グローバル環境ではいろんな価値観を持つ人がいる。それを認めること」
「世界には日本と違った仕事の仕方、コミュニケーションの態度がある。その違いを認めること」
と言われます。
私はもちろんこれには100%、いや200%諸手を挙げて賛成です。
しかし正直に告白しますと、そうした論調を聞くと同時に
「それで???」
と思ってしまう自分がいつもいるのです。
違いを求めるだけでおしまい!?
「違いを認め」さえすれば、仕事の進め方が異なる者同士で生じている不信感やイザコザは消えて無くなるのでしょうか。
こちらが「常識はずれ」と思っている振る舞いをする相手を見て、私の中でほぼ瞬間的に湧き上がってくる不快感や嫌悪感、ストレス、不安。それらも「違いを認める」だけで解消されるのでしょうか。
例えば私がこれまで仕事してきた国は時間に悠長なところが多く、まずスタッフの遅刻は日常的にあります。
「違いを認める」でその遅刻した相手を「お前はいつもしょうがないなあ」と笑って見過ごせばいいのでしょうか?
そうした国では締め切りや納期はあくまで「目標」でしかなく、絶対に守らなければならないという意識が希薄です。
納期を守らない業者がいるため、想定したスケジュール通りに仕事が進まずイライラすることが日常茶飯事です。遅延につぐ遅延を遠く離れた日本から見ている同僚に
「オカべは現地で一体何をしているのか?」
などと不審がられて私が冷や汗をかいている状況に変わりはないわけです。
それでも多様性の時代においては
「時間にとらわれない生き方は素晴らしい」と相手に拍手を送り、
「違いを認めよう」
を念仏のように唱え、私自身がもっと寛容になるしかないのでしょうか。
違和感の源泉
私は平気で遅刻してくるスタッフ、納期に遅れて詫びもしない相手を「ここはこういう所だから仕方がない」と見過ごし我慢を重ねたことがありますが、その忍耐は1ヶ月も続きませんでした。
これは私の修行が足りないということなのでしょうか。
「多様性を認める」「相手の価値観を尊重する」といった話には、そのプロセスで生じる心理的なストレスや葛藤の部分には触れず、綺麗事で済ませようとしているところに私は違和感を感じるのです。
相手の言動や態度を見て感じる「違和感」「不快感」「嫌悪感」というのは、それを見たり聞いたりした瞬間に心の中で自然発生的に湧き上がってくるものです。
人間、誰しも物事のよしあしを判断する「モノサシ」を持っています。
だからこちらの「モノサシ」に馴染まない言動を相手がとった場合、瞬間的に「なんなんだこの人は?」となるのです。これは私も私なりの価値観を持つ者として自然なことだと思っています。
いろんな価値観や「常識」、モノの考え方を持つ集団があるとして、そこではその多様性ゆえに発生する相互の不信感や嫌悪感、イザコザ、モチベーションの低下、仕事の遅延が発生しますが、単に相手との「違いを認める」だけではそうした課題や心理的なモヤモヤ、イライラに何の解決策も提示してくれないのです。
多様性と向き合うときに忘れてはいけないこと
何度も言いますが、私は多様性が大事だと心底思います。
しかし、多様性に触れることで自分の中でほぼ無意識のレベルで生じている内面のストレスにしっかり向き合うことが多様性の中で生きていく上でまず大事だと思うのです。
そしてさらに重要なのは相手に対する違和感、不快感、嫌悪感を感じたあとに「どうするか」です。
集団のメンバーそれぞれが大切にしている価値観をできるだけ捻じ曲げることなく、多様なメンバーがお互いに快適にやっていける環境やルールをどう作っていくかが大事なのです。
「辛口」のカレーばかりでは食べられない人がいるので「甘口」のカレーも混ぜ、誰でも食べられる「中辛」にするようなイメージでしょうか。
遅刻してきたスタッフをいつもニコニコと神様みたいに見守るだけでは多様性を認めることの真意を語ったことになりません。自分の中で自然発生的に、瞬間的に芽生える相手への反感や不快感、嫌悪感をまず見過ごさず向き合わなければなりません。
その上でどうやって心の中で折り合いをつけるか、どうやってお互いが気持ちよく仕事ができる環境を作るか、自分が譲歩できることは何か、相手は何をどこまで譲歩できるかまで考え、それを集団の中で実践して初めて多様性が活きてくるのだと思います。
ただしこれはものすごく難しい。そして面倒くさいものです。
だからつい面倒を避け、自分が慣れ親しんだ「安全地帯」の中でじっとしているか、あれこれ考えずに自分の価値観を相手に押し付けたくなります。
でも、少しずつでもお互いが納得できる新しい価値観が共有できるようになると、その多様性が面白くてたまらなくなります。今まで辛口ばっかり食べてきたけど、中辛も、そして甘口も割と美味しいじゃないかと。