死ぬ場所探して・・・?

どこかで耳にはさんだだけでホントかどうかはわからないのですが、猫は「死」に直面した時、飼い主の元を離れ、そっとひとりで人目につかないところでその瞬間を待つのだとか。
これまで仕事やプライベートで日本はもちろん、いろんな国に行き生活してきましたが、ふとしたときに
「自分はどこで死ぬのかなあ」
と思うことがあります。
この先も行きたいところだらけですし、残りの人生で「次はここに住もう」「ここに最低1年住んでみよう」とひそかに企んでいる国もいくつかあります。
画像は私のGoogleマップの一部ですが、行きたいところ(緑のマーク)が増えることはあっても減ることがありません。
このFacebookでもそうですが、いろんな方が訪れた場所や風景に触れるうち、興味が湧いたところは即Googleマップを開き緑のマークを入れているのです。
世界中の風光明媚な場所だけじゃなく、小さくて名前もあまり知られていないような神社や教会、モスク、小洒落たホテル、汚なそうだけど絶対美味しい料理を出すに違いなさそうなレストラン、図書館にもマークが入ってます。
そして時折Googleマップを開いては、そこにいる自分の姿を想像してはニヤニヤしているのです。
こんなことをしていると、この作業自体が
「自分にとって本当に居心地のいい場所」
「自分にウソをつくことのない自然体で過ごせる場所」
あたかも
「自分の死ぬ場所」
を探している心持ちになることがあります。
「どこで死ぬか」
最近は「最後は日本になるのかなあ」と思うことも増えてきました。それが日本のどこなのかは全くイメージが湧かないのですが。
でも「やっぱりどこでもいいや」と思っている自分がいます。
これまで6カ国で駐在員をさせていただきましたが、それがどんなに不便で貧しい国であっても、どんなに食べ物が合わなくて水が汚くて治安が悪くても、1年もすればどこも「住めば都」になるということを実感してきました。
だからなおさら人生の最後の時をどこで迎えるのか、自分の中にこだわりのようなものが芽生えてこないのかもしれません。
僕のGoogleマップの緑マークは3000個近くあります。残りの人生をあと30年とすると1年に100ヶ所かあ・・・と。
なんとか、ま、行けそうな気がしています 😆