これまで15年以上にわたり海外での仕事に関わってきました。
日本との仕事の仕方の違いや、人との接し方の違いには随分慣れましたが、ごくたまに、ドッカーンと爆発することもあります。
爆発が起こるのは、新しい国に赴任して数カ月ぐらいのことが多いように思います。
目次
「インシャアッラー」
4年ほど前、ヨルダンに来て間もない頃、大事なお客さんが日本からいらっしゃるということになりました。
これは一大事とばかりに、お客さんのアテンドを担うヨルダン人の運転手と打ち合わせをしました。
その運転手を呼び、スケジュールを確認し注意事項をひとつひとつ說明していったのですが、
その運転手の返事が全て
「インシャアッラー (Inshallah)」
つまり、「神様のご意思であれば」という、何とも心もとないものなのです。
「明日、8時ね、8時」
「インシャアッラー」
「お客さんを乗せたら○○に直接行ってね」
「インシャアッラー」
「お客さんを乗せたら、電話ちょうだい」
「インシャアッラー」
「じゃあ明日9時に○○で会おう」
「インシャアッラー」
「お客さんが会議中でも、その間にどこかに
行ったりしないように、車で待つように」
「インシャアッラー」
イスラム社会では、
「人間は将来のことをコントロールできない」
「世に起きていることは全て神様の思し召し」
という考えが染み付いています。
だから「インシャアッラー」には「Inshallah」というように、ちゃんとアッラーの神の名前が入っています。
わかっちゃいるけど、なぜか頭にきてしまうこと
と、ここまでは私もヨルダンに来る前に予備知識として知っていました。
そして中東の人と何か約束事を確認したときに「インシャアッラー」と言われたら、その約束事が守られる確率は100%じゃなくなるということも経験者から聞かされていました。
しかし、そうした予備知識があり、頭でわかっていたとしても、上のように運転手からの返事が全て「インシャアッラー」という事態を目の当たりにすると、だんだん腹が立ってくるんですね。
「神様を尊重する気持ちは十分わかっている。しかしお前、明日8時に来るかどうかは自分の意志次第なんじゃないのか?」と。
「おのれ、もしかしてヤル気ないんだな?」と。
「さては、朝起きてもチンタラと支度して遅刻しながら、神様のせいだからと言い逃れする気なんだな?」と。
「給料日前には時間通りに来るのに、それ以外のときは神様がお前を遅刻させるだと?さてはおのれ、私をナメてるな?」と。
繰り返される「インシャアッラー」を聞きながら、私の中でメラメラがふつふつと湧き上がってくるのがわかりました。
「爆発」
そしてお客さんが日本から到着しましたが、半ば案じていたとおり、運転手は時間通りに現れず、お客さんからはクレームの電話です。
「岡部さん、もう10分も待ってるんだけど、車が来ないのよ」
「岡部さん、会議が終わって表に出たら車はあるけど、運転手がいないのよ(勝手にコーヒーを飲みに行ってました)」
そのあと、私が運転手にどれだけ怒りまくったかはご想像におまかせします。
「郷に入っては郷に従う」だけではしんどいことがある
今から振り返りますと、着任したての頃はヨルダン人の同僚やスタッフたちもこちらの仕事の仕方がいまひとつわかっていなかったんですね。
私も上のように、頭で現地事情がわかっていても、なぜかモヤモヤしたところがありました。
そうしたお互いのすれ違いが、徐々にお互いのストレス度を高め、「やってられるか」という感情で支配されるようになり、あるときに飽和点を超えてしまうのです。
こうしたことから、
異国の地でやるからには、その土地の仕事の仕方を考慮しながら、お互い最もストレスがない仕事の進め方を考えるしかないというのが私の結論です。
よい例えかどうかはわかりませんが、辛口のカレーだけではしんどいので、甘口も混ぜ、誰でも食べられる中辛にするような感じでしょう。
「郷に入りては郷に従え」
という言葉がありますが、少なくとも国籍や個々のバックグランドが異なる者同士の仕事の場においては、それが全て正しいとは思いません。
上の例をみるまでもなく、全てを郷に従って「インシャアッラー」で終わってしまえば日本人を含む時間感覚に厳しいビジネス関係者からの信頼を得ることができず、ヨルダン人にとっても利益にはならないからです。
お互いのモヤモヤからの突破口
異文化理解関係の書籍などを読んだ限りの話では、現地に到着して数カ月後に現地関係者とそれまでの仕事をふりかえり、お互いに溜まっているストレスを吐き出し、改善できる点を話し合うのが一番いいようです。
相手の本音を聞き出そう
私も、上の運転手のケースがあった後、他数名の現地スタッフを含めミーティングをしました。
彼・彼女等いわく、私の時間感覚が厳しすぎて、常に緊張していないといけないので、とてもしんどい、付いていけないとのことでした。
あるスタッフなどは、私がいかに悪魔であるか、プロジェクト事務所が入っている政府機関のトップに直談判までしていたようです(汗)。
他の投稿でも書きましたが、ここの人達にとっては家族事情が仕事よりも遥かに優先度が高いのです。
子供が病気になったら早退するのは当たり前、親族のお祝い事がある場合、仕事を休んでお祝いに駆けつけるためのプレゼントを買う、衣装を買う、早めに帰って着飾って出かけるのが当たり前という文化があります。
私のように、時間!締め切り!遅刻厳禁!だけだと、スタッフの首根っこを常に締め付けているのと同じことなのです。
そして自分の本音を話そう
私は私で、現地スタッフの時間感覚が今ひとつわからなかったことと、「インシャアッラー」の精神はわかるが、いつも思う通りに物事が進まず、私も東京から文句を言われて困ることを正直に話しました。
この話し合いでの結論は、以前どこかの投稿にも書きましたが、
普段は遅刻しようが早退しようが彼・彼女達を一切とがめない、
けれども、絶対に遅刻が許されない場面、絶対に外せない期限がある場合はとことん、厳重に守ってもらう
ということでお互い納得しました。
異文化環境で気持ちよく働くために
海外での仕事の一番の問題は、ほんのささいなやり取りの行き違い、考え方の違い、ボタンの掛け違いだと思っています。
それらが積もりに積もるとそれがストレスになり、お互い不信感でいっぱいになり、結果として仕事がうまく進まなくなります。
それならば、お互い折り合いを付けられる妥協点を探って、全員でそれを守るようにすればいいと思うのです。
私のように、我慢を重ねた挙句に爆発するのは最悪です。
今となって振り返ると、やはりヨルダンに来て数カ月が修羅場でした・・・(遠い目)。
「インシャアッラー」
という言葉には無意識に拒絶反応を起こしていましたが、今や、私もやりたくないことや、会いたくない人とのアポなどは
「インシャアッラー」
「もし神様がそう望むのなら」
でかわすようになりました。
使い慣れると、実は結構便利な言葉なのです。相手の感情を害することなく、やんわりと断るにはもってこいです。
(冒頭写真)Photo by Andre Hunter on Unsplash