駐在員の私の、ほっと息抜きの時間

海外で駐在していると、現在の仕事はもちろん、仕事以外のことでも思い悩むことはたくさんあります。

自分の次の仕事、将来のキャリア、
豪雨に遭った九州の自宅の状態、
同伴している家族の健康、
子供の現地での学校の様子や、次の進学、
日本に残っている高齢の両親の健康、等々。

今考えても仕方がないこと、考えたところで何もできないことが多いのですが、知らない間に思考がそちらに行ってしまうことがあります。

私は普段あまりお酒を飲みませんし、コロナ禍ということもあり、気分転換で外食したり、友人と飲みに行くこともありません。

週末は
アラビア語のオンライン・レッスン、
長男の野球の練習に加え、
週末だけは私が食事を作るようにしています。

そのように仕事から離れて違うことをするのも息抜きに違いないのですが、ヨルダンで私が一番ホッと一息つけるのは何かなあと考えたとき、

出張旅行かな

と思い当たりました。

出張である以上、出かける目的は仕事なのですが、その道中で日常と違った景色を眺める時間が私にとっての至高の時間です。

ヨルダンでの風景というと乾燥した大地、砂漠になりますが、私は砂漠の景色が好きです

なぜ砂漠が好きなのか?

それは「な~んにもない」ということに尽きると思います。

人の手が加わったものがなく、な~んにもないのに、な~んにもないものに圧倒されてしまうのです。

先日から出張でアカバという街に来ています。
アカバはヨルダンの最南端の街、紅海の終わる(始まる?)街です。

アカバは首都アンマンから南に車で4時間の距離です。

2通りの行き方があるのですが、今回は死海(Dead Sea)を通ってアカバにやってきました(下の細い赤線が今回のルート)。

死海と聞くと湖に浮かんで本を読んでいる人の写真を見たことがある方も多いのではないでしょうか。

死海は英語で「Dead Sea」ですし、なんだか気味悪いですよね。塩分濃度が高すぎて生き物が棲めないらしく、それで「死んだ海」というのだそうです。

下の写真も死海ですが、岸壁が塩で白くなっているのがわかると思います。右側に見える陸地はイスラエルです。

さて、死海が終わると、いくつか小さな町を通り過ぎてから、いよいよ砂漠の中を南下します。

ひたすら・・・

ひたすら・・・

ひたすら砂漠です。
でも、全然飽きません。
車もほとんど走ってませんし、
ずーーーっと走っていたいって思うぐらいです。

緑のオアシスがあるところでは、たまにラクダが道を横切ります。写真で撮ったのはこれだけですが、今回はこの他にヤギの群れにも「通せんぼ」されました。

「はあああ、やっぱ砂漠っていいなあ!」

と機嫌よく走っていると、いつのまにか、前の方はおろか、バックミラーで後ろを見ても全く車がいないことがよくあります。目に映るのは砂と岩山、ときおり草と太陽、青空だけ。人の気配というのが感じられなくなるのです。

そうなると、

地球上に存在してるの、俺だけ?

という不思議な感じがしたあと、
背筋が凍るほどの恐怖が襲ってくるのです。

人やラクダはおろか、車とも全然すれ違わないことが長く続くと、だんだん怖くなってくるのです。

こうして砂漠を運転するときは、いつも「ドラえもん」の「独裁スイッチ」という話を思い出します。

独裁者が自分の意に背く者たちを粛清するのと同じように、そのスイッチをを押すと自分の気にいらない人間を消してしまえるというものです。

漫画では、のび太がジャイアンを消したりしているうちに、間違って全ての人間を消してしまいます。親にも叱られず、学校にも行かなくていいので、しばらく好き勝手な生活をしているのですが、やっぱり寂しくなって

誰か出てきてくれ~

と泣き出すという、そんなオチの話です。

砂漠を走っていると、
のび太、その気持ち、わかるよ~!
といつも思うのです。

砂漠の景色はいつまでも、いつまでも飽きませんが、「適当なタイミングで車にはすれ違ってほしい」など身勝手なことを考えるのです。

そしてしばらくするとヤシの木と、遠くに紅海が見えてきて、ようやくアカバに到着です。

ホテルに着いて、翌日の洋服にアイロンあてて、少しウトウトしていると夕焼けの時間になりました。

目の前が紅海、右手前の夕日があたっているあたりがイスラエルで、左奥の方はシナイ半島、エジプトです。

なにはともあれ、今回も砂漠を十分堪能しました。
アンマンに帰るときも、また砂漠が見られるというのがうれしいのです。