海外を目指すために諦めたこと:正直に生きることと幸福の関係

だいぶ前の話ですが
テレビで明石家さんまさんが

「オレは触覚で生きるオトコ」

とおっしゃっていました。


「触覚」という言葉でご自身を昆虫扱い
されているところに面白さを感じました。

そして芸能の世界で
それなりの地位を築いておられる方が、
それほどまでに

「直感」や
「そのときの自分の正直な気持ち」

を支えに生きてこられたんだなと理解しました。



その明石家さんまさんに及びもつきませんが
僕もその都度降ってきたのか
湧いてきたのかわからぬ「直感」や

「自分は一体どうしたいのか?」

という問いにできるだけ正直に答えながら
生きてきたつもりです。


そのときに「これ!」と思って
選択したことや行動したことが、
後から考えれば

「それが人生の岐路だった」

のかもしれません。

 

そんな僕がひとつだけ

「自分に正直に生きること」

についてこれまで学んだこと。


それは
​正直に生きることで僕は「幸福」になれますが
周りの人には必ずしも同じ「幸福」を
もたらさず、

大事なものを失ってしまうこともある
ということです。

20年ほど前、僕は東京で仕事をしていて
付き合っていた女性がいました。

仕事のあるイベントで
その女性とはじめて出会ったとき

僕の頭の中で「ドーン!」という
雷のような音が響き、

実際に身体がよろけてしまうほどの
眩暈を覚えました。


僕の「直感」が

「この女性!!!」

と大声で叫んでいるのがわかりました。


そして仕事上の関係などお構いなしに
上司や同僚の忠告も無視して彼女を
食事やデートに誘いました。


「彼女との関係がこじれてしまえば
 僕は会社で笑いものになる」

という一抹の不安はありました。

しかしいずれまた海外に出ようと思って
いましたし

「会社はどのみち去る」んだから
「そのときはそのとき」と腹を括っていました。


幸い、しばらくして彼女とお付き合いして
もらえるようになり、
そのうち一緒に暮らすようになりました。

僕の「直感」は正しかったようで
一瞬の雷で彼女に対する気持ちが萎える
こともなく本当に幸福な時間でした。



それから3年後、
僕は再び海外に出る決意をしました。

僕が海外に出ることについて
そこで彼女は何も言いませんでした。


しかし言うまでもなく
問題は彼女との関係をどうするかということで

お互い30を超え、年齢も年齢だし
「結婚していずれ一緒に海外に行きたい」
と考え始めました。


そんなとき、
自分の中でこれまで聞いたことがない

「それはやめた方がいいと諭す直感」

が声をあげるようになったのです。

なぜそんな声が聞こえてくるのか
自分でも理解に苦しみました。

彼女のことが本当に好きだったし
映画の趣味、音楽や本の好み、好きな風景

飲み屋さんやレストランの好み、
食べ物の味の好みまで同じ彼女でした。

彼女と家庭を持ちたいと思う気持ちも当然ありました。

それなのに
どうして「やめとけ」という声が聞こえるのか。



「彼女は海外での生活や仕事に興味がない」



彼女とそれまで交わした膨大な会話の中で
そう感じることがあったから

自分の「直感」が「やめておけ」
という声を僕に送ったのだと思います。

あるいは「プロポーズして断られたら嫌だ」
という、自分が傷つきたくないだけという

僕の醜い部分がそのような「声」を
生み出したのかもしれません。



そうして

別れるのか、遠距離で続けるのか
彼女との今後をどう考えているのか

踏み込んだ話を彼女とできないまま、
あっという間に僕が日本を発つ前の日が
やってきました。

彼女はその日から
京都へ出張に行くことになっており

新幹線で出発する彼女を東京駅まで
見送りに行きました。

東京駅までお互い無言で
僕は何をどう言えばいいのかわからないまま
とうとう彼女の乗る新幹線の前まで
来てしまいました。


うつむく彼女を目の前にし
その姿を見て僕は思わず

「結婚しよう」

と言いかけました。

喉元どころか、唇の先までその言葉が
出かけたぐらいでした。

やっぱり彼女のことを手放したくなかったのです。


しかし僕の中の「何者か」が全身の筋肉や
声帯まで麻痺させてしまったかのように

その言葉が声となって出てくることは
ありませんでした。


彼女にはたくさん言わなければいけない
ことがあるという自覚はあったものの

それを表す言葉が何も出てこず

そのかわりに勝手に涙だけが出てきて

「ごめんな」

というのが精いっぱいでした。


彼女は

「ううん、今までありがとう。
 身体に気をつけてね」

とだけ言って
新幹線に乗って行ってしまいました。



翌日、僕は一人で日本を離れました。

海外に出るのは
僕が本当にそうしたかったからですが

東京駅で彼女と別れてから

「海外での仕事は、大切な女性を放ってまで
 やる価値のあることなんだろうか?」

「海外での仕事は、彼女といることより
 もっと大きな幸せをもたらすのだろうか?」

と自問し続けていました。


僕はただ自分の気持ちに正直に
海外に出ることを選択したわけです。

しかし、その時僕は大切な人を失いました。

東京駅で彼女と別れてから
僕の心を支配していたのは

「自分は一体何をしているのだ」

という自責の気持ちだけでした。


こうして僕は

自分に正直に生きるということは
​自分にとって大切な人と必ずしも同じ
「幸福」を分かち合えるわけではなく

かえってその人を失ってしまうことも
あるのだ

ということを学んだわけです。

それから2年後。

傷心の出国から休暇で帰国した僕は
共通の知人を介して福岡である女性と
出会いました。

とある駅の改札口ではじめて
彼女と会ったのですが

そのとき、

僕の人生でもう2度と来ないだろうと
思っていた「雷」が、

それも超特大の「雷」が再度僕を直撃しました。

周囲の音が全く聞こえなくなり
​これは現実なんだろうか?
​と何度も頭の中で反芻していました。

そして駅から食事のレストランに行くまでの
間に交わした数分の他愛もない会話で
僕は「何か」を確信していました。


休暇中の帰国ということもあり
時間に余裕のなかった僕は彼女と出会って
2週間後にプロポーズしました。

その2日後、

休暇が終わる直前に双方の家族に挨拶を
済ませました。

3か月後、

僕は再度3日間だけ帰国し
ささやかながらの結婚式と披露宴を福岡で
ひらき、そのまま彼女と海外へ出かけて
いきました。

それが僕の妻です。



正直に生きることで
失うものもあると書きましたが、

そんなことよりもっと重要なのは
​​
「自分の正直な部分に共感してくれる人が
 いると、その幸福感は跳ね上がるのだ」

ということかもしれません。