アポがあれば5分前ぐらいには約束の場所に到着する。
少しでも遅れそうな場合は相手に事前に電話をかけて平謝り。
出勤時間に遅れないのは当たり前。
プレゼン時間が10分と言われれば10分で収めるよう最大限努力する。
これが日本における「フツー」の光景ですよね。
小学校から高校まで、毎朝校門に先生が並んでいて、遅刻したら「グランド一周!」でした。
時間を守ることがいかに大事かを物心つく頃から周囲に言われ、学校生活を通してその感覚が強化されて社会人になったわけです。また周囲も似たような環境で育っていますから、日本ではみな時間に対しては敏感です。
このように時間に厳格な態度を示す文化をモノクロニック文化と呼びます。
*詳しくはこの記事を参考にしてください。
ところがこの感覚で外国人と接すると、ただただこちらが「変人」であるようにしか見られないことがあります。特に途上国とよばれる地域や中東、アフリカ、ラテン系の人が多い国ではその傾向があるそうです。
(※出典/エリン・メイヤー著『異文化理解力』英治出版)
時間感覚に比較的悠長な人たちが多い文化をポリクロニック文化と呼びます。
彼等にとっての時間とは、川の流れのように目の前を通り過ぎたものが戻らないのではなく、目の前に一面に広がる海の水のようなもので、使い放題、飲み放題、汲んでも汲んでも減らないものです。
彼等にとって時間というのは道端の石ころみたいなもので、ほとんど関心がないのです。
日本では時間を守らない人は相手から信用されません。それが嫌だからこそ時間はきっちり守りたい。しかし、そうした国々では時間を守らなくても相手に何のマイナスの印象も与えません。
そればかりか、「おい、何遅れとるんじゃ」などと小言でも言おうものなら、相手はあなたを器量の小さい、心の狭い、それこそ「海の水を小さいスプーンですくっただけなのに、何をわめいているの?」となるのです。
そして、そんな彼等が時間について私に毒ついたことがあります。
「お前はいつも5分の遅刻でやかましく言うのに、なんで終業時間を過ぎて夜中まで働くのか?」
「時間通りに!とあんたはいつもうるさいが、契約に書いてある終業時間通りに帰ろうとしたら渋い顔をする」
グーの音も出ないとはまさにこのことです。。
時間に厳しいはずの私が、実は時間にいい加減と言われても仕方がない行動を取っている。。。
これでは相手に「もうちょっとちゃんと時間守ってくれ」なんて言えないです。ビシッとスーツを着てキメているつもりなのに、チャックが開いているような感覚です。
こうして、私も終業時間にきっちり帰るようになりましたが。。。家に帰ってもネクタイは締めたまま、スーツ着たまま。メールを読んでは返し、書類をスキャンして送り、やっていることは会社にいるのと同じことで、結局夜中まで仕事です。。あぁあ。
時間に厳しいモノクロニック文化
時間にユルいポリクロニック文化
これらの違いについては↓の記事の解説がお役に立つと思います!
モノクロニック文化とポリクロニック文化