海外で仕事していると、日本で味わうことのない種類の「孤独感」「孤立感」にさいなまれることがあります。
それには2つの種類があって
ひとつは
「現地と日本の間で板挟みになって生じるもの」
もうひとつは
「集団の中でマイノリティーになった時に感じるもの」です。
街中やレストランで現地語しか飛び交っていないようなところでは「異国」を感じます。それがかえって「精神的自由さ」や居心地の良さのようなものを私にもたらしてくれるのですが、
それが仕事の場面となると、自分ではどうすることもできない無力感に襲われるほどの「孤独感」「孤立感」を感じてしまうこともあるのです。
目次
現地と日本の間で「板挟み」になって感じる「孤独感」「孤立感」
例えば現地の事情や意向が反映されていない指示や判断が日本の本社から送られてきた時。
こちらは駐在員として現地で生活しながら仕事をしていますし、現地の関係者の意向や現場事情を日々の付き合いで理解しています。
それを日本の本社には事あるごとに説明しているのに
「なんでこんなことを現地にさせるんだろう」
「どれだけ説明すればこちらの事情をわかってもらえるんだろう」
と首を傾げてしまうような指示や判断が日本から送られてくることが結構な頻度であるのです。
こちらはみんな「厚切りのトーストを焼いて食べたい」と言っているのに、日本から送られてくるのが
「厚切りのトーストが入らない、幅の狭いトースター」
のような感覚。
「サステナブル(持続性)」とか「現場重視」と耳に心地のいい言葉を普段使っているわりに、それと真逆な実態に失望を感じます。
現地では新規の取り組みを行うのに追加でお金が必要なこともあります。現地の関係者と膝をつめて話をし、たくさんの細かい書類を作って本社に追加予算の申請をします。
「おっ、どうやら本当にお金がつきそうだ」
という反応が日本から返ってくることもあるのですが、最後は結局「はしご」を外される。
「オカベさん、そちらから頂いた案件ですが
今回は時期尚早だと判断しました」
そんなメールを日本から受け取った時の気持ちの落ち込みほど惨めなものはありません。
その計画を作り上げるのにどれだけ現地の関係者と協議を尽くしたか。
いろんな資料を用意するのにどれだけ現地のスタッフのサポートを得てきたか。
彼ら一人一人の顔が目に浮かび、彼らになんて説明しようかと考えるものほど虚しい仕事はありません。
仕方がないので本社の判断を伝えると、彼らはあからさまに不満を口にし、呆れられ、挙句
「オカベは東京とのコミュニケーションが
できていないのではないか」
などとあらぬ解釈をされてしまい、そっぽをむかれ、日本との「板挟み」になって現地で「ひとりぼっち感」に悩むことが結構な頻度でありました。
それまで現地でコツコツと築き上げてきた信頼や人間関係が、それで一気に冷えてしまうこともありました。
「いつも私は正しい」とか「現地の事情を理解しない本社のヤツらが悪い」なんていう気は毛頭ありません。
ただこんな時の「孤独感」や「孤立感」といったやるせない気持ちをどうやって整理し、そこからどうやって自分の信頼を回復させていけばいいかを考える時ほどしんどいことはなかったかもしれません。
集団の中でマイノリティーになった時に感じる「孤独感」「孤立感」
例えば大勢が集まるような会議で、日本人はおろかアジア系の人間が私だけとか、「見た目」でこちらが圧倒的少数派の時。
そこで私が何を話すかという以前から私が「見下されている」ような、言葉で直接言われることはないけれど、私を見る周囲からの視線に「何となく嫌なもの」を感じ取ることがあります。
個人レベルでのコミュニケーションでは感じなくても、集団の中で圧倒的マイノリティーになった時に
「こちらの話をはなから聞く気がないのでは?」
と思わずツッコミたくなるほど、こちらの存在そのものが軽視され、疎外されているような雰囲気を周囲から感じることがあるのです。
まるで自分だけが蚊帳の外に追い出され
「お仲間に入れてもらえていない」
ことを突き付けられているような「孤独感」に苛まれます。
「公平性だ」「多様性だ」と言いますが、人って無意識のうちに自分と近いものに親しみを感じるし自分に近いものを選ぶ。
白血球が体内の異物を外に追いやるように、人にはもともと「自分と異なるもの」を遠ざけようとする習性がある。
いやがおうでもそれがこの世の人の真理のひとつなのではと思わずにいられません。
「孤独感」「孤立感」から抜け出るには・・・
こうした「孤立感」や「孤独感」に苛まれたときの心境は、周囲の親しい人にさえ打ち明けられないものです。
「海外で周囲の人たちと心地よい人間関係を築き、
そこで信頼やサポートを得ながら仕事と生活を
満喫している」
それが私が叶えたい自己イメージなのに、現実はそれにほど遠い自分の姿。
現地の関係者から協力やサポートが得られない。
周囲と信頼関係がなかなか築けない。
そんなカッコ悪い自分の姿を周りに見せたくないから、日本にいる同僚や上司には
「すべてが順調です」とか
「おかげさまで楽しくさせてもらってます」
などと虚勢を張ってしまう私がいました。
日本の上司や同僚に愚痴ったり相談なんてした日には
「オカベには今の現場での仕事は無理なのかなあ」
「オカベって、アレコレ手がかかって面倒くさいなあ」
と受け止められてしまうのではと不安でした。
だからおいそれと気軽に悩みを打ち明けるのに抵抗がありましたし、実際私は相談なんて一度もしませんでした。
私の場合は家族にも言えませんでした。「ボク、つらい〜😭」みたいな情けない姿を見せたくないし、ただでさえ駐在に帯同させて負担をかけている家族に余計な心配をさせたくなかったですから。
こうした「孤独感」や「孤立感」に直面してしまうことって、海外で過ごしていれば多少なりとも誰にでも起こりうることなのかもしれません。
だいぶ後で振り返ってそれが
「自分の成長の機会だった」
「周囲との信頼をさらに深めるきっかけになった」
と思うことはあります。
でもその「孤独感」「孤立感」に直面しているとき、その気持ちの凹みようを自分の中でうまく整理することができない自分がいました。
そんな「孤独感」とか「孤立感」を感じても、それを誰かに救ってもらったり解決してもらえることはありません。
できることはせめて、自分が日々誠実に、周りにいる個人と一人ずつ向き合っていくしかないと思っています。