ステレオタイプ・偏見とその乗り越え方

普段の生活で何気なく「ステレオタイプ」なモノの見方をしていることに気づかされることってありませんか?

性別、出身地、出身校、年齢、
職業、血液型、外見、人種など

それぞれに

「固定化されたイメージ」

が私の中にもあるのです。


例えば血液型がO型と聞けば
「おおざっぱ」(私のことです)

大阪出身と聞けば
「面白い」「ボケとツッコミ」

教師・公務員と聞けば
「まじめ」

入れ墨をしている人を見れば
「ヤバい人」

ラテン系の人と聞くと
「明るい」「陽気」

そして

イスラム教、中東と聞けば
「テロ」「ヤバい」と。​

 

ステレオタイプが家族にもたらした影響

私は中東のヨルダンに住んで7年になりますが「ヨルダンに住んいる」と言うと少なからず

「ヨルダン?どこ?」

と聞かれ

「中東だよ」

というと

「大丈夫なの?危なくないの?」
「テロに巻き込まれないようにね」

と周囲の人たちに心配されます。


ヨルダンには家族を伴って来ているのですが、はじめての渡航で成田空港から出発するとき、チェックインカウンターで当時小学4年だった長男がポロポロと泣き出しました。

驚いて「どしたん?」と聞くと

「ヨルダン、やっぱり怖い、行きたくない」

と、飛行機に預け入れるつもりで背負わせていた大きなリュックサックを固く握りしめたまま、それを手放そうとしないのです。

我々家族分のチェックインをしてくださっていた航空会社の方々が、泣きじゃくる長男を見てチケットの発券を一時思いとどまるほど心配されてしまい、私も妻もその場でホントに焦りました。


よくよく長男の話を聞くと、当時は中東での「IS」といったテロ組織のニュースが日常的に報道されており

「ヨルダンは中東だから
テロリストがウジャウジャいる国なんだろう」

という「ステレオタイプ」が彼の中ですっかりできあがってしまっていたということです。


ステレオタイプと偏見の違い

「ステレオタイプ」と合わせてよく使う言葉に

「偏見」

がありますが、社会心理学では「ステレオタイプ」「偏見」を以下のように区別するそうです。

———————
・ステレオタイプ:ある特定の性質をみんなが持っているように思うこと

・偏見:ステレオタイプに対して「好き」「嫌い」などの感情を伴うもの
———————

長男の場合、何気なく接していたテレビなどの情報から

「ヨルダンは中東の国、イスラム教の国だからテロが多い」という「ステレオタイプ」を持つようになり

「ヨルダンはテロリストばかり・・・怖い・・・最悪だ」という「偏見」を持っていたということになります。


ステレオタイプと偏見はどうやってできるのか?

よく言われるとおり「意識している・していない」にかかわらず、人間の脳ミソは五感を通して入って来る膨大な情報を処理しています。

その一方で処理すべき情報があまりにも多いので、脳ミソは何か知らないことに直面した場合

「知らないという不安を回避するために」

性別とか出身地、国、職業、人種、宗教・・といった属性から「ステレオタイプ」を取り出してきて

「とりえあず対象についてわかったことにする」

のだそうです。


脳ミソがやっかいなのは、とりあえず「ステレオタイプ」でわかったことにしたうえで、それに自分のモノサシをあてがって「好き」とか「嫌い」という感情、つまり「偏見」を持ってしまうことです。


さらに問題なのは、「ステレオタイプ」とそれに伴う「偏見」というのは、一旦できてしまうとなかなか変化することなく脳ミソにこびりついてしまうということなのです。



ヨルダンの駐在員として日本とヨルダンの間に立っていたとき、この「ステレオタイプ」や「偏見」というのは本当にやっかいでした。

日本人はヨルダン人や中東の人に対し

・自己主張が強い
・しかも声も態度もデカい
・そのくせ言ったことや時間を守らないから仕事もいい加減、信用できない

など、接する前からすでに「ステレイタイプ」や「偏見」を持っている人が多いです。

大変不幸なことに、そういったヨルダン人に対する「ステレオタイプ」「偏見」が「正しい」ことを証明するようなことが実際に毎日起こるわけです。

だから付き合いが浅いうちはそうした「ステレオタイプ」と「偏見」が一層強化されてしまうのです。

そんな日本人に対し、違う角度からヨルダンでの仕事の仕方を解説すると

「オカベはいつもヨルダン人の肩を持つ」

という目で見られてしまうほど「ステレオタイプ」「偏見」というのは厄介なのです。

ステレオタイプ・偏見の乗り越え方

海外で仕事をする上でも、大事なのは自分と異なる相手に対するステレオタイプや偏見を超えて、どうやってお互いが気持ちよく仕事をし、どうやって仕事の成果を一緒に生み出すかということだと思います。

しかしながらこの「ステレオタイプ」「偏見」というのは、それを忘れさせてしまうほど強いマイナスの影響をもたらしてしまうものなのです。



くだんの長男ですが、ヨルダンに到着後もしばらく「怖い」という意識がなかなか抜けなかったようです。

信号待ちで男性ばかりが乗った車やバンが隣に止まったときは冷や汗をかき、子供好きのヨルダン人に声をかけられるだけでビビッていました。

学校でもヨルダン人の同級生たちのヤンチャぶり、いい加減さ、自己主張の強さに辟易しており

「ヨルダン人ってホント最悪!」

という話をよく聞かされたものです。


しかし2年ほど経ったある日、その長男が

「僕、アラビア語を勉強したい」
「ヨルダン人の同級生とアラビア語で話せるようになりたい」

と言ってきまして私はむちゃくちゃうれしかったです。これがヨルダンに来て私と妻がもっとも感激したことかもしれません。


その心変わりの理由を聞いてみたところ

「ヨルダン人はたしかにヤンチャでいい加減でうるさい。
でも、僕によくしてくれるいいヤツもいっぱいいるから」

とのことでした。


「ステレオタイプを持つな」
「偏見を持つな」

というのは簡単ですが、そんなことは不可能だと私は思っています。

情報というのは意識的であれ無自覚であれ勝手に入ってくるものです。「ステレオタイプ」「偏見」も、知らない間に脳ミソで勝手に処理され蓄積されていくものなので避けようがないと思うのです。

だからせめてこちらができることは

ステレオタイプや偏見を自覚しつつも、本当にそれだけが対象を正しく表現するものなのかを観察し、検証しなおすことが大事なのだと私は長男から学んだのでした。


(記事は以下の情報を参考にしました)
・Mayonez『ステレオタイプとは?日常生活から見る具体例4つ|偏見・差別との違い』(2020年2月13日記事)

・マイナビウーマン『【心理学】ステレオタイプはなぜ起こる? 意味や具体例を紹介』(2021年6月24日記事)